最近になり目にし、耳にするようになった言葉ですね、マウント。
格闘技業界なら昔から使われてましたね、マウントポジションを取る、優勢な状態ですよね。
IT業界もLinuxだとマウントしないとちゃんと認識されないというか、操作出来ない状態やもんね、マウントでも取らないと相手にされない状態やもんね、マウントせな仕方ないよね。
しかしどいつもこいつも何故ネット上や、普段の会話からマウント取りたがるんでしょうね?
それとなく自分の優位性を確認したいんですかね?
おや?…ってことは君、自信ないのかい?
それとなく自慢とかしたりしてマウント取りにきますよね?自慢するときの声と自信のない時の声は同じそうです、斉藤和義が言ってたから間違いない。
マウント取りたがる人ってちょっと落ち着いて冷静に客観的に物事を見たとき、自分のしょーもなさに絶望したりしないんですかね?そんな大々的に自分の自信のなさをアピールして…後悔しないの?
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」人は平等やで、と福沢諭吉は学問のススメの冒頭で綴りました、でもこれって学び次第で上下は生まれるでっていう著書ですよね。
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」賢くなればなるほど謙虚になるよねって諺(ことわざ)ですね。マウント取りたがる人は頭なんて垂れない、真逆だぜ!
出来た人、賢い人を目の当たりにするとわかるんですけど、皆さん謙虚、丁寧ですね、流石成功者とも思える。
「金持ち喧嘩せず」も関連しますね。
偉い人は偉ぶらない、偉そうな人は偉くない。
小物ほど高圧的、威圧的な傾向があります。
積み重ねた努力とか、裏付けになる成功体験から自信を手に入れた成功者とは違って、自分の立場、存在価値を担保するモノがなにもないから、攻撃による防御効果を狙う意味でマウント取りたいんやろなぁ。
自尊心を保つ為にマウントを取ろうとしてるのに、結果自信のなさを露呈するみっともない行為になってる不思議。
何故人はマウントを取りたがるのか?
不安だからですね、わかります。自分以外の集団や他人は怖いですからね。